Text&Photo:Yuya Fukumuro(5E)
はたして生涯のうちに日の丸を背負い、日本を代表するなんてことがあるだろうか。よほど特殊な人ではない限り、何の機会もあるはずがない。しかしその特殊な職のうちの一つ、スポーツ選手なら10代、20代で日本代表だ。そんな人たちの境遇は凡人には計り知れないし、かかる重圧は重すぎるってことで間違いない。特に第5回WBCの侍ジャパンはそれが顕著に見えたと思う。
その中でも今回フォーカスしたいのは東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手、期待の日本の四番バッター、文句なしの主軸だ。ヤクルトを8年以上応援しているゆえ、彼の世界での活躍、そして海外から彼がどう評価されるのかが楽しみだった。ひいきチームの選手が褒められるのは自分のことのように誇らしいから。しかも弱冠23歳で日本代表の一員、現代に生きる侍となり、日本の主軸を張る村上だからこそ、夢を見れるのだ。
しかし予選で全くと言っていいほど良い当たりが出ない。というか打てない。そんなに無理に打ちにいかなくても、と素人目からも思ってしまうような大振りだ。海外の反応がどうとか、もうそれどころじゃない。
友人やネット上の人々(もちろん他球団ファン)は、村上を中軸から外せという批判ばかり。彼らとしては村上より自分のひいき球団の選手にもっと出てほしい、っていう裏があるのは勿論なのだが。それはともかくとしても、確実にいえるのは日本のファンが熱烈だということ。自分含めだが、大抵の人は野球の話になると過激になる傾向があるんじゃないか。簡単に想像できるでしょう? お酒片手に文句言っているおじさんの姿が。まともに動けない自分のことは棚に上げて「腰が入ってない」だの「ここはピッチャー交代だよ」などとしたり顔で解説する。こういう熱意(と呼べるかも怪しいモノ)の裏返しが、打てない四番への苦言だとしても、やっぱり限度があるでしょ。いくら日本を背負っているからといって、たった23歳の若者をこんなに叩くのはいかがなものか。しかも本人にかかる重圧とは全く別のところから。こういうので重圧がどんどん増えていく。でもそんな重圧なんて払いのけちゃえ。いつか打てる。いや、打たないと流石におかしい。あと、打てないとヤクルトファンが立場なくなっちゃうじゃん。だから打ってくれ。そう願っていた。
そして準決勝、日本は苦戦し、リードされたまま最後の攻撃。打てないと敗退という緊張の中、2人がするすると出塁するし、村上に打席が回る。奇しくも、導かれたかのように。今日はここまで1度も打ってない。友人からは「ゴロアウトじゃなきゃなんでもいい」とLINE。やっぱり辛口だ、とそのとき、一閃。打球はここ一番で重圧をはねのけて最高の結果を出す、彼のメンタルの強靱さを表している、そんな決勝打だった。さっきまで「村上いつまで出てんの」とか相当な高飛車だった友人は「村上マジで泣くってこんなの」。物凄い掌返しだ。勢い余って多分二周はしたな。ともかく、今日は村上の日だ。主軸の重圧に応えた村上は流石。しかしそんな重圧がない場所で、あれこれ自由に言い合えるのがファンとして一番楽しいんだ。戦う選手には敬意を表しつつも、こんな自由で無責任なことを考えていた。