学校法人 早稲田実業学校
理事長 田中 愛治
早稲田大学系属早稲田実業学校初等部
早稲田大学系属早稲田実業学校中等部・高等部
早稲田実業学校の教育方針は、「豊かな学識と表現力を持つ次世代のタフなリーダー」を育成することです。その目的を果たすために、創立以来、校是として「去華就実」、校訓として「三敬主義」を掲げています。
「去華就実」とは「華やかなものを去り、実に就く」ということ。これは、「実業」の精神を育てるということであり、同時に、社会に多くの貢献をなしうる人格の育成を目指しています。
一方、「三敬主義」とは、本校の基礎を築いた天野為之(早稲田実業学校第二代校長・早稲田大学第二代学長)が唱えたもので、「他を敬し、己を敬し、事物を敬す」ということ。「敬の気持ちをもって他人に対すれば礼となって和の徳を生じ、己に対すれば自重自律となる。また机上の雑務から一国の政治まで、すべて敬をもって扱えば、物事はその性能を発揮して久しく耐え得る」という意味を持っています。
本校は早稲田大学の系属校であり、卒業生の多くは早稲田大学へと進学し、早稲田大学の学生の中核となる使命も担っています。こうした早稲田大学の建学の精神に裏打ちされた教育により、将来を担うべく、伝統的な“早稲田スピリット”が培われています。
645名 |
教員 | 30名 |
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講師 | 16名 |
職員 | 8名 |
※人数は2024年5月1日現在
中等部 | 667名 |
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高等部 | 1,032名 |
計 | 1,699名 |
教員 | 78名 |
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講師 | 65名 |
職員 | 33名 |
※人数は2024年5月1日現在
1901(明治34)年に開校した本校は、2001(平成13)年に創立百周年を迎えた歴史と伝統のある私立学校です。本校は早稲田大学の前身である東京専門学校が大学としての基礎を確立した当時、その早稲田大学創立関係者によって大隈重信の教育理想を実現するために、早稲田大学の学風に基づいた中等教育を進めようという強い決意に基づいて設立されました。初代校長大隈英麿を助けて創立に尽力し、本校の基盤を確立した天野為之(第二代校長)は、「高等小学校卒業後4,5年間に他の専門学校でやる位の教育を果す決意なので、本校の特徴は、日本の教育の制度の上に非常な変化を起すであろう。而してそれが日本国に大いに利益を与えることであろうとひそかに考えている」と述べています。
このように本校は、早稲田大学の傘下にあって、少年層の教育を担当して堅実な歩みを続けてきましたが、教育目標が実業教育にあったため、やがて大学の傘下から独立して、実業界を中心に多彩な人材を送り出してきました。また大正期にはスポーツ活動の充実と同時に、質実剛健の校風が確立されていきました。太平洋戦争が終わる頃、戦災により学園が廃墟と化していた時期もありましたが、教職員、生徒、そして校友が一致団結して復興にあたり、戦後の急速な発展を見ることになりました。
そして、1963(昭和38)年に本校は再び創立時の形態に戻り、早稲田大学の系列に復帰しました。これを機会に教科内容を変更し、それまでの商業科に加え、新たに普通科を設置することになりましたが、これは、生徒の大部分が早稲田大学への進学を希望するという実情を勘案してのことでした。
本校は創立以来、不変の伝統を築きあげてきました。そして現在は早稲田大学の系属校としてさらなる躍進を遂げ、早稲田大学への推薦入学をはじめ、卒業生のほとんどが希望の大学へ進学しております。また、21世紀とともに訪れた創立百周年に際し、校地を国分寺に移転しました。2002(平成14)年度には男女共学となり、商業科の生徒募集を停止しました。さらに初等部を開校して、新しい時代にふさわしいスクール・アイデンティティーを構築し、 早稲田大学とともに初等・中等教育のモデル校を目指しています。
相馬 御風 作詞
永井 建子 作曲