Text&Photo:Kokoro Ikegami(5C)
「顔ファン」って言葉、知ってますか? 「顔ファン」というのは、とにかく「顔が好き」の一心でファンをやっている人達のことです。バンドとか、アイドルとかの界隈でよく使われている気がします。
正直この手の人達、私はあんまり好きじゃありませんでした。私以外にもそういう人、多いのでは? (「顔不安」なんていうひどい当て字もあるくらいですし……)だって「中身はどうでもいいのか!」「曲ちゃんと聞け!」って思っちゃうじゃないですか。「自分はちゃんと音楽も中身も全部愛してる、ガチガチのファンだぞ」、みたいな「ファンとしてのプライド」を持っていた訳ですね。でも最近、ちょっと視点を変えてみたら考え方が変わったので、ここでお話しさせて下さい。
私思ったんです。アーティストさん目線だと、顔ファンってめちゃくちゃありがたい存在なのでは? もちろん、曲や世界観が好きなファンがつくのは、とても喜ばしい事だと思います。ですがどれだけブレないアーティストでも、時代の流れや自身の成長と共に、そういう創作物は変化するものです。実際、「あのバンド、昔の方が良かったな」「最近の曲好みじゃないな、売れてから変わっちゃった」なんて声もよく聞きますよね(正直私自身もよく言っています)。 その点、顔ファンはどうでしょう。「新曲全然刺さらないな……でもやっぱり顔はかっこいい! 好き!」と、かわいいは正義! と同様に無敵なのです。その愛はもはや「母」と言っても過言ではないのでしょうか!
顔ファンがそのチート並みの打たれ強さを発揮するのは、「曲が好みじゃない〜」なんてシチュエーションだけにとどまりません。私が注目したいのは「SNS」における顔ファンの立ち回りです。
そもそも、ファンをやめる瞬間は、先ほどあげたパターンのようにアーティストの方向性が明確に変化した時とは限りません。インターネットが普及したこの時代、推しのSNSをのぞくだけでも「ファンやめようかな指数」は溜まっていくものです。SNSは普段私たちファンが見れない推しのいろいろな側面、つまりプライベートな部分を見せてくれます。これがいけないんです。この「プライベートな部分」が、オタクの異常に発達した「妄想力」と組み合わさると、ひどい化学反応をおこします。「推し君がディズニーの写真をあげてる!でもこれ他撮りだよね、彼女といったのかな……」「推し君、カフェに行ってたんだ! でもこのグラスに映り込んでる女の人、誰?」などなど。SNSはオタクに無限の悪夢を見せます。というか作り出させます。でもこれ、顔ファンにとってはどうでしょうか! 顔ファンは、別に推し君が彼女持ちでも、どうでもいいんです。そもそもそんな被害(者気取り)妄想を広げることもないのかもしれません。「今日誰とどこで何をしたか」の確認ではなく、「今日もお顔が最高だったか」の確認をするのが「顔ファン」です。よっぽどのことがなければ人間の顔は変わらないわけで、顔ファンにとってSNSとは、決して悪夢製造機などではなく、「好きのトリガー」になるということですね。無駄な詮索や深入りで勝手なヘイトをためることなく、供給に素直な「好き」で応える「顔ファン」は、アーテイストにとってかけがえのない存在だといえるのではないでしょうか。
顔ファン、侮れません。
やっぱり視点を変えて物事を見てみるのって、大事ですね。「顔ファン」、意外とネガティブワードじゃないのかもしれません!