Text&Photo:Ema Numaguchi
私は無駄なことをするのが好きです。いつもより少し早く家を出て、カフェに寄る。特に勉強をしたり、読書をすることもなく、明け方の景色と目の前のコーヒーに集中する。これが私にとって、至福の空間なんです。
生きていると、なにかしら目的を求めることがほとんどだと思います。将来の役に立つこととか人のためになることとか。そんな目的に追われて、時に自分が見えなくなってしまうように感じることがあります。だからこそ、これは私だけの幸せな空間ではなくて現代に生きるすべての人が本来欲している時間だと私は思うんです。決して贅沢じゃないと私は声を大にして言いたいです。
要するに私はコーヒーの味の違いがわかる人になりたいんです。余裕があって落ち着きのある人間、これが私の理想像なわけです。でも結局理想は理想のままであって、現実にしたくないというのも少しあるんですよね。なんていうか、落ち着きを手にしたら楽しいっていう感情を失ってしまうんじゃないかなって。
私は小学校に入学すると同時にチアリーディングを始めました。初めは衣装がかわいいとかポンポンを持ちたいっていう安直な理由だったんですけど、次第にグループワークの楽しさっていうものを知りました。なんでしょう、1人で踊るのとは違う感覚。グループでの活動っていいことばかりじゃないんです。はっきり言って無駄なことばかりだし、制作だけで言えば1人でする方が絶対に効率はいいんですよね。なにより意見の衝突がありますから。
それでもグループにこだわる理由って、やっぱり未知のものへ辿り着く可能性への興味でしょうか。不純でごちゃごちゃしていて得体の知れない生命体たちとのセッションが偶然の産物を生み出す。それがなんとも愛おしいんです。
そんな外向きな私だからこそ内への興味も忘れずにいたいのかもしれません。趣味である芸術鑑賞や読書もそれらを通じて私が何を感じるのか、またそれをどう自らの制作活動に活かすのか知るためのツールに過ぎないのかもしれませんね。
加えて、私が大切にしているものの一つにリミナルスペースというものがあります。普段は人の気配がある場所なんだけど、誰もいなくなったら急に不穏な気持ちになる、みたいな。例えば、学校とか図書館とか地下鉄とか、人がいないとちょっとおぞましく感じる場所ってあるじゃないですか。あと、夜テレビとかスマホを見てて、ふと電源を切ったりとかした時に、さっきまでその世界に没入してたのに、しんとそのシーンが終わっちゃう孤独感みたいなものもリミナルスペースの1つだと思います。元はホラーとして流行ったインターネットミームらしいですが、私にしたら恐怖心は一切なくてむしろ見れば見るほど心が落ち着くんです。
死ぬということについて皆さんはどう考えるでしょうか。私は死ぬ前にリミナルスペースへ行きたいんです。実際にはリミナルスペースなんて存在しないので、あくまで空想の話ですけど。でもそんな場所で誰にも会わず、悲しまれもせず、ただ静かで何もない場所でこれまでの人生を振り返りたいなと。
それで気づいたんです。結局私は意味付けがしたい人間なんだなって。死ぬ前に人生をダイジェストするのも、こういう生き方だったと自分を言語化して認めたいだけで。たぶんこう見えて、ものすごく他人軸な人間なんです。他の人にどう見られるか、時間を無駄にさせていないかそれで動いていて。関心がないだろう人にどうすれば話を聞いてもらえるか、つまらないと思われないだろうかと考えた挙句、最終的に何か結論を出さないとここまでの話が無意味のように思えてしまうんです。きっと私は天性のエンターティナーなんだと思います笑。
そう考えると私という人間は一貫して自分と対峙する時間を求めていることがわかります。世の中実は数字で表せないことばかりで、だからこそ私は計ることのできない幸福を意味付けることで受信しているのだと思います。今日も私は肌寒い空気を押しのけて、コーヒーを片手に毎日を意味付けています。味の違いはわからないままです。
