Text&Photo:Sumire Tanabe
私は、本を読むのがそれなりに好きだ。それなりに、というのも、最近は読書をあまりしていないのだ。課題が、テストが、と言い訳をして、実際は寝てばかりなのに、本を読まない真っ当な口実を探している。こんな私にも、大切な本がある。『十二国記』シリーズ(講談社)というものである。仰々しく言えば、人生を変えてくれた本である。
私の読んだ本の多くは、父から勧められたものだった。当時小学4年生。言われるがまま『少年少女世界文学館セット』(講談社)を読破した頃。父に手渡されたのが『十二国記』シリーズであった。実は以前に一度読むことを断念していたので、またこれか、どんな話だったかな、なんて考えながら、とりあえず読み進めたのだけれど、次に本から意識を逸らしたのは1冊まるまる読み終えた後だった。すぐに次巻を手に取り、夢中で読んだ。あっという間に当時出版されていた分を読み終わり、しばらくは余韻に浸りながらベッドに突っ伏していた。壮大でありながら精緻に描かれた世界観と完成されたストーリーラインに圧倒された。こんな風に物語が頭の中を駆け巡ったのは、初めての経験であった。
『十二国記』は、動植物が果実から生まれ、麒麟など中国神話上の生物が登場するような、現代日本とは異なる世界を舞台にしている。全く突飛に思える設定だが、世界観が作りこまれているので、違和感なくすっと受け入れることが出来る。
私は当時、陽子というキャラクターに自己投影していた。陽子は、最初の主人公であり、このシリーズの常連メンバーである。女子高生にして王となる彼女は、あまりにも残酷な現実に弱音ばかり吐いていたが、次第に確固たる意志と毅然とした態度を身に着けていき、皆に慕われる人物になる。彼女の生きる姿勢に感化されて、架空の人物が持つ人間性を、初めて身に着けたいと感じた。
個人的に、『十二国記』シリーズは短編集『華胥の幽夢』が最高傑作であると思う。そこに収録されている4つの短編のどれもが素晴らしいが、その中でも特に、短編集のタイトルになっている「華胥の幽夢」がよい。印象的なのは、「責難は成事にあらず」という言葉だ。これは、先王の悪政を糾弾して即位した新王が、短い統治の後に禅譲した際の遺言で、先王を責めることは容易いが、先王を責められるのは先王よりも上手く国を治められる者だけである、という意味である。
責難は成事にあらず。この言葉は、私たちが常に心にとめておくべき言葉であると思う。ただただ他人を非難することは容易い。やれどこぞの政治家がやらかしただの有名人が炎上しただのと、当人でない誰かが「私ならこんなことしないのに」と責めることは容易い。しかし、自分がその状況下にいたとき、すべてを踏まえたうえで、重圧の中、間違いを犯さないでいられるか、もしくは誤りに気づき正すことができるか。今の世の中にはこの言葉が必要である、と私は思う。自ら事を成せない人物が他人を責めるのは、まったくのお門違いである。
ともあれ、『十二国記』シリーズは、読み返すたび気づきを与えてくれるような、私の人生の指針となるような、そんな本である。興味を持っていただけたら、ぜひ手に取ってもらえると嬉しい。