Text&Photo:Minami Abe
突然なんですけど、なにかを好きになることって皆さんありますよね? 好きならなんでもいいんです。音楽でもいい、本でもいい、人だっていい。わたしも例にもれず好きなもの(こと)、いっぱいあります。その上好きになったらすーっごく夢中になって、そのことしか考えられなくなってしまうことがそれはそれは沢山あります。
たとえば、そう。好きな曲は飽きるまで聴きまくるとか。わたしなんかSHISHAMOっていうバンドの曲を毎朝リピート再生かけて「今日も何てことない良い一日になーれ」って馬鹿みたいにお願いしながらスキップしちゃったりしてます。でもそういうこと、ないですか? ない? …そっか。でも「好き」な曲を聞くとテンション上がって「今日は良い日になるかも!」って思いませんか? たとえそれが勘違いだったとしても一日の終わりに「好き」な曲を聞くと「明日は良い日になる」ってちょっと自信がつきますよね。「好き」って栄養なんです。それがLikeでもLoveでもね。
面倒そうに思われる古典研究だって「好き」だから納得がいくまで何回も書き直せるし、「古典文学における写本の意義と影響ーなぜ『うつほ物語』は埋没し、『源氏物語』は大衆からの人気を博したのかー」なんて題名から読む気が失せそうなことをWord10枚にもまとめて学校の国内研修に応募することまでできたんですよ。まあ逆に言えば要約力がないのかもしれないけど、それで実際に国内研修の枠を勝ち取りました。大きな「好き」が成功体験に変わったんです。
この「好き」って気持ちはわたしにとってとんでもないくらいの原動力になるんです。興味や気になるという気持ちもすべて同等だとわたしは思っています。「好き」の気持ちが芽生えるともっと知りたいという欲求が湧いてきますよね? そういうことです。この気持ちがあるだけで見え方・捉え方が全然変わる。ありえないくらい世界がハッピーになる。たぶん自分は「好き」に対する気持ちの大きさが人一倍大きいと思ってて。
そんな自分の性分を「何かいい形で活かせないかなあ」なんて甘ったれた考えを持っていました。だって自分の性格がやるべきことにフィットしたら最高じゃないですか。そう思いませんか? 少なくともわたしはそう思っていました。
そんなことを考えているうちに昨年高等部へ進学して新たな生活が始まり、何気なく日々を過ごす中でどこの部活に入るのかという問題にぶつかって。そこで前から身の回りの人たちに勧められていた”マネージャー”という選択が浮かんできたんですよ。「自分なんかに人をサポートできるのかな」なんて不安を抱えながら「とりあえず行動してみよう!」と思い立ち、お得意の好奇心を発揮して陸上競技部のマネージャーを体験しました。
ほぼノリと勢いで知り合いなんか全く介さずに突撃したので本当に専門用語はもちろん人も活動内容さえもなーんにもわからなくて! 最初は手取り足取りでダメダメで「部活に顔出したくないな」なんてことを思ったりもしたけれど、そんなわたしをみんなは本当に温かく受け入れてくれました。少しずつできることが増えて少しずつコミュニケーションもとれるようになって「ありがとう」と言われる度にやりがいを感じて、そうして自分の中で「好き」が積み重なるうちに「この人たちをもっと知りたい、サポートしたい」と思うようになって。何もなかったところから「好き」を生み出させてくれたみんなをわたしは今、胸を張って「大好きだ!」と言えます。
よく「好きなことをして自分の成長につながるならそれはすごいことだ」と言いますが、それが理解できたのです。「そんな都合いいことあってたまるか!!!」なんて思うでしょ? でもね、なんとなく今の自分が証明している気がするんです。
「好き」→「だからやってみる」じゃなくて「とりあえずやってみる」→「好きになる」も案外いいもんです。その「好き」が新しい原動力に繋がるとわたしがここに断言しちゃいましょう。先入観として現れる「好き」って気持ちは素敵な反面結構しつこいから、もしかしたら知らぬ間に自分の世界を狭めているかもしれないですよ? たまには何も考えずに行動してみたらそこらへんに新しい「好き」が転がってるかも。なーんてね。
わたしの今の夢は「好きな人たちに、好きな人たちが目指す素敵な夢を叶えてほしい」ということ。その努力の過程を隣で見守っていけることがすごく嬉しくて。日が経てば経つほど「好き」が積み重なっていきます。残り一年ほどのマネージャー人生の中のどこかで、少しずつでもいいからみんなから貰ったこの積み重なった「好き」の気持ちを返したい。ありえないくらいの「好き」を贈ること。自分自身が誰かの原動力に、「好き」になれるように。