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ESSAY & INTERVIEW

教職員インタビュー:小出敦也さん(早稲田実業学校 アスレティックトレーナー)

投稿日 2024/5/22

Text:Shugo Ikeda・Kotaro Kato Photo:warashibe

アスリートに欠かせない存在がいることはご存知ですか。それはトレーナーです。今回はNBA(アメリカのプロバスケットリーグ)のチームにも在籍した経験を持つ、世界に誇る早実のアスレティックトレーナーにお話を聞きました。

小出 敦也(こいで あつや)
早稲田実業学校中・高等部 アスレティックトレーナー。
高校卒業後にアメリカのコルビーソーヤー大学スポーツ科学部へ留学。大学卒業後は米国の中高等学校勤務を始め、NBAでは日本人初となる専属アスレティックトレーナーとして名門ボストンセルティックスに就任。2003年に帰国、慶応義塾大学ウェルネス科目講師や男子バスケットボール部トレーナー、日立サンロッカーズ(現Bリーグ)やバスケットボール日本代表チームのトレーナーなどを歴任。2014年から現職。

――まずは基本的な質問となりますがアスレティックトレーナーとはどのようなお仕事なのか、どうして目指すことにしたのかを教えてください。

アメリカでは医療免許で職業として確立されていて、約4万人のアスレティックトレーナーがいます。約半数は医療現場で働き、もう半分はスポーツ現場で働いています。プロチームで働いているのは全体の4%ほどで、多くは大学や高校のチームに所属しています。中・高校で学校専属の立場の人は日本では僕以外に数人しかいないですね。

僕は中学生の時から人のために仕事がしたいと思い医学部を目指していました。一方で、NBAが大好きで毎日観ていて、もし医学部に受からなかったらそうしたスポーツに携わる仕事がしたいなとも考えていました。そこで高2の時にボーイスカウトでロッキー山脈に登ったんですよ。その体験で感動してアメリカで勉強したいと思うようになり、留学の本を見ていたらアメリカにはアスレティックトレーナーという資格があることを知りました。アスレティックトレーナーは当時日本では言葉すら聞いたことがなく身近にもいなかったんですけど、医療にもスポーツにも携われるので「これだ!」と思いました。

英語が喋れなかったので、色々な人にアメリカへ行くことを反対されました。でもなんとも思わなくて、「きっと何とかなるでしょ」と。そこから英語の勉強はめちゃくちゃ頑張りました。英会話学校に通ったり、英会話や外国の先生とずっと一緒にいるようにしたり。そのうちに「なんか、いけるかもしれない」と思いましたね。だから特別意気込むこともありませんでした。

――なぜNBAで働くことになったのですか。

当時、知り合いもいなかったのでとりあえず手紙を書こうと思って大学3年のときからアメリカのほとんどのスポーツチームに履歴書と手紙を書いて送りました。4年生の時にボストン・セルティックスのヘッドトレーナーからインターンシップのような形で一週間なら受け入れるよと連絡が来たんです。それから車で160km(東京→静岡ほど)を毎日通い、周りは有名なNBA選手ばかりだけど浮かれることなく一生懸命働いていたら、これからも来いよって言ってもらえて。大学に通いながらチームでも働き、認められて正式なトレーナーになりました。

――日本に帰国した経緯と、今のお仕事のやりがいについて聞かせてください。

NBAで3~4年仕事をしたところで、家族のサポートをしようと帰国を決めました。それまで好きなことをやってきた自分が今やらなければいけないことはなんだろうと考えて、家族を優先しようと決めました。

別にアメリカが嫌になったとかではなくすごくフィットしていたので、この先もずっとアメリカにいるんだろうなと思っていた矢先でしたね。でも迷いは全くありませんでした。自分のため、人のために何をすべきか考えた時、NBAに固執することにはあまり意味がないと感じたし、日本でやれることがあるんじゃないかと思いました。

僕のコンセプトは「人のためにやる」っていうことなので、誰かのために役立っているという意識がエネルギーになります。自分のためだったら妥協してしまうことも、誰かのためにと考えると力が出てくる。あと、人と関わることが好きなので、ディスプレイに向き合って仕事をするよりも、様々な人と毎日会えるっていうのがこの仕事の醍醐味かなと思います。

これまでたくさんの経験をしてきた僕だからこそ見えるものがあります。日本では毎年、熱中症などでアスリートが亡くなるというニュースが入ってくるじゃないですか。でもそれは、アスレティックトレーナーがいたり、指導者に講習をしていて知識があれば防げる事故かもしれません。日本のアマチュアスポーツに一番足りないものは安全性。学校にアスレティックトレーナーがいるとたくさんの人が助かるということを全国の指導者や教員に伝える活動もしています。最近は全国の色々な組織から講習会をしてほしいと連絡をもらったり、講習を受けてくれた指導者がアスレティックトレーナーを置きたいという要望を学校に出してくれたり、少しずつ周りの意識が変わってきていることを感じます。

――高校時代のことを教えてください。埼玉県の春日部共栄高校ご出身とうかがいました。

高校時代はバスケ部でした。ただ、めちゃくちゃ弱く地区大会3回戦で終わっちゃうくらいのレベル。隣では全国大会を狙うバレー部が練習していて、野球部がちょうど甲子園で準優勝したこともあって、肩身の狭い思いをしていましたね。一応、副キャプテンをやっていました。ただ3年間ほとんど怪我をしていて全然プレーできなかった。ドクターって「何週間安静に」とか言うけど、その期間ただ安静にしたらいろんなものが犠牲になる。そういうこともあって、医学の中でもスポーツ現場近くで寄り添える分野を目指すようになりました。

ちなみに春日部共栄に行った理由はスポーツじゃなくて、修学旅行がオーストラリアだったから。なんとなく海外に行きたかったっていうのがありました。でもなぜか知らないけど自分の上の代と下の代がオーストラリアで、自分の代だけ当時治安の悪かった北京に行かされたんだよね。

もともとはテニスが好きだったんですけど、中学生の時にNBAを観て衝撃を受けました。このスポーツめちゃくちゃ面白いと。ときめいたのはマジック・ジョンソン。彼がきっかけでバスケを始めた。こういうところにも表れてますけど、自分は基本的に感覚派。思ったことはすぐに行動に移します。最近の自分のテーマは「チャンスは一度きり」。またこういう機会はあるだろうから今日はいいかって思うことはたくさんありますよね。でも同じシチュエーションは二度と来ない。

例えば気になる子に声をかけるチャンスもそう多くはないと思います。だから「あっ、声かけたいな」と思ったら絶対に声をかけた方が良いと思いますよ。僕もその時に沸き起こる気持ちがあるなら素直に従おうっていう思いが、年をとるほど強くなっています。

――なぜ早実で働くことになったのでしょうか。

日本に帰って来てからはバスケ業界を盛り上げようと頑張っていました。雑誌連載で新しい理論を紹介したり、トレーナーのミーティングを開催したり。関わったチームも大学で日本一になり、Bリーグでは準優勝と成果が出て、日本代表のトレーナーも務めました。一生バスケ業界でやっていくんだろうな、と思っていました。

ただプロの世界は勝つために何かを犠牲にしたり色々な嫌な面も見てきました。それでトレーナーをやめてもいいかなと思う時期すらあって、そんなときに純粋にスポーツを楽しんでいるアマチュア選手達と関わって感動しました。みんな目がキラキラしていて一生懸命。これこそが原点じゃないかと。でもアマチュアスポーツの世界にはトレーナーが全然いない。安全管理がされていない。「これやったら絶対良くなるのに」というチームがいっぱいあった。それでアマチュアスポーツに関わろうと。そういうタイミングで公募があって、早実のトレーナーになりました。

――早実でのお仕事以外の活動についてもう少し教えてください。

一般企業の健康経営コンサルタントのようなこともしていますよ。工場とかの業務で、こうすれば怪我なく安全に進められますと提案したり。あと普段パソコン作業ばかりの人たちに、どうすれば健康になれるかをレクチャーすることもあります。

日本人は学生時代に部活を引退したあと、運動をしなくなる人が多い。会社に入ると本当に運動習慣がなくなるんです。それで身体を痛めて病院に行って治療を受けたりするけど、それは対症療法。自分が広めているのは、なぜ腰が痛いのかという原因を見つけて運動して予防するアプローチです。組織で働く人たちが健康になれば会社の生産性も上がるんですよね。トレーナーという肩書に関係なく、人にいい影響を与えられるのなら何でもやります。自分にしかできないこと、持ち味を生かせることをやる。変なこだわりは自分の可能性を閉じ込めてしまうから。

プライベートでの楽しみは家族と遊びに行くことです。ゆっくりしたいとは思っていません。僕が使わない言葉は「めんどくさい、だるい、つかれた」。食事は一日5食とっていて、睡眠にも気を遣っているから疲れない。食べるもの、行く場所、会う人、すべてに目的を持っていますし、全部が必然だと思っているから大変なことも面倒だとは思わない。

――最後の質問です。今、幸せですか。
幸せ。今と昔だったら、今。常に今が一番楽しいと思っています。「安パイ」という言葉が嫌いなんです。二つの選択肢があったら大変な方を選ぶ。その方が自分が成長できると思うので。仕事のオファーが重なったらいつも給料が低い方を選んでばかりですね。給料よりもやりがいのある仕事を選びます。