Text&Photo:Shuya Boda(5E)
人生をもう一度やり直せるとしたら、どのようにその二周目の人生を過ごしますか? 多くの人は一周目の失敗を生かしてよりよい人生にしようとすると思います。もちろんそれは僕も例外ではなく、人生のあらゆる黒歴史を消しにかかるでしょう。そう考えていたので、最近読んだある本に衝撃を受けました。
その本は三秋縋さんの『スターティング・オーヴァー』(メディアワークス文庫)です。簡単にあらすじだけ紹介すると、20歳の大学生だった主人公が、あるきっかけで10歳のクリスマスへとタイムリープしてしまいます。タイムリープする前の彼の大学生活は素晴らしい友達、家族、恋人に恵まれ、とにかく幸せなものでした。そのため、その一周目の人生を完全に再現しようとするがまったくうまくいかず……といった感じです。どんなふうにうまくいかないかというと、一周目で5年間付き合っていた彼女への告白でこっぴどく振られたり、一周目で大親友だったはずの人にいじめられたりと、天国から地獄どころの話じゃないですね。ふつう耐えられません。あ、でもこの主人公も耐えられていたわけではなかったですね。というかこの話は恋愛要素が強めの話で、最後に大どんでん返しも待っているのですが、その辺の話はここでは触れないことにします。ぜひ自分で読んでお楽しみください。
にしても、一周目でどんなにいい人生を送っていても改ざんしたい出来事の1つや2つはあると思うんですよ(2つどころじゃおさまらない気がするけど)。思いますよね? それなのに一周目の人生を「完全」に再現しようとして、そのうえ盛大に落ちこぼれてしまったという冒頭部分を見て、ページをめくる手が止まりませんでした。
なぜ完璧で幸せな人生を送れるはずだった主人公が落ちぶれてしまうことになったのでしょうか。そこまで詳しく語られてないですが、バタフライエフェクトだと推測できます。どういうことかというと、小さな変化が大きな変化につながり、その大きな変化が主人公が落ちぶれてしまうという結果につながってしまったのでしょう。多分。どんなに完璧になれるポテンシャルを持っている人でも、些細な違いによってこうも変わってしまうのかということを強くわからせられました。
自分の人生も、例えば「髪結構伸びてきたけど、切りに行くのめんどくさいから来週でいいや」くらいのほんとに些細な決断にも、人生を変える可能性が秘められていると考えて、後悔しない選択をしないとな、と思いました。なんかすごい大げさなこと言ってるなって思ったそこのあなた、僕も同じこと思いながら書いてます。でもほんとに思いました。僕は結構テキトーに物事を決めちゃうタイプなので、今までにしてきたテキトーな決断をちゃんと考えてしていたら、よりよい人生があったのでは、とか思っちゃうと恐ろしいですね。きりがないですけど。
まぁ例を挙げるなら、といってもぱっとは思いつかないなぁ、そうですね、学校の選択科目とかもシラバスとかよく見ずにテキトーに決めちゃったりしてるので、二周目があるのならちゃんと考えて決めたいですね。別に後悔してるわけじゃないけど人生は大きく変わってそうな気がします。てかこれ、全然些細じゃないですね。こういうとこにもテキトーさが出ちゃっててやばいですね。まじで高校卒業までには直します。
まぁタイトルに二周目の人生ってつけたり、二周目の人生についてちょっと考えてみましたけど、普通に考えて二周目の人生なんてあるわけないですね。いや決めつけるのはよくないな、まぁもし、もし何かの間違いで二周目の人生送ることになっても、この話の主人公のように一周目の人生の再現に徹したいと思えるような人生を送りたいなぁと思います。が、よく考えたらもう今の時点で改ざんしたい出来事が死ぬほどあるので、無理でした。